2013年01月27日

kindleが手放せなくなるかも‥

私はKindleを2つのデバイスを使って読む。
じっくり読むのは、whitepaperだ。
これは本当に疲れないし、持ち歩くのも重宝だ。

主に読むのは、評論と小説だが、
読んでいて重要なところにアンダーライン(ハイライト)を引く。

読み終わったら、iPadもしくはiPhoneのkindleアプリで
読んだ本を開く。すると、ハイライトされた箇所にスムースにアクセスでき
しかも、画像として保管もできる。

これは、本からアイデアを集めたり、
自分でいろいろロジックを組み上げていく時にはとても有効。

さらにここからソーシャルリーディングも始まるのだろう。
なかなかワクワクする仕組みだ。


posted by 4430516 at 22:25| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | いわゆる日記の類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月25日

経営者としての評価ポイント

経営トップは、実行においてはいい加減でもいいんだけど
大義名分はしっかり自分の言葉で語れないと
誰もついていかなくなる。

自分の言葉っていうのは、「なぜ」「なぜ」と
自らを問い詰めてはじめてでてくるものだ。
それは、思慮の「深さ」を示すものだ。

仮に「なぜ」の最終地点が、
「だってやりたいんだもの」となったとしても
そのプロセスをしっかり示せることが、
すなわち信じるに足る人間だということになるのではないだろうか?

僕はその思慮深さを信じる。
posted by 4430516 at 00:58| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | いわゆる日記の類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月12日

反復強迫で殴られる生徒?

大阪市で起こったバスケットボール部の顧問の暴力が
原因とされている男子生徒の自殺の事件。

教育行政の在り方など、問題はいろいろあるのだろうが
僕は「スポーツで暴力を受けるのは当たり前」であり、
「私もそういう環境で育ってきた」という保護者の発言と
それに拍手をした人がいるという報道が気になった。

ネット上でも(だいたいネット上=2ちゃんねるなわけですが)
そんな意見を唱える人も、ちらほら。

これって、考えたら「苦痛な体験にも関わらず、何度も強迫的に繰り返す」
という、フロイトの“反復強迫”ではないかと思う。
親から暴力を受けたがゆえに、自分の子供にも暴力をふるうとの同じで
部活顧問から殴られてきたゆえに、指導している学生も殴る。

子どもに暴力を振るう親が、過去に自分の親からも暴力を
受けていたことについて、内田樹さん曰く
『幼児期に親から虐待されてきた子どもは、虐待されることを
「屈折した愛情」の証拠だからと自分に言い聞かせて、その救いようのない
幼児期を何とか意味のあるものだったと思い込もうとします。
愛しているから殴ったとでも思わなければ救いがないのです。
結局それが悪循環になってしまいます』

暴力を容認する人たちは、過去に自分たちが部活動で殴られたことを
「生徒に勝たせたいという気持ちの表れ」と捉えているのかもしれない。
でも殴っても強くならないって、スポーツの学問では議論されているわけだし
いい加減、そんな世界から抜け出さないといけない。

優勝できているのは、他の要因があるのだよきっと。

仕事の現場でも営業成績が上がらない人を殴ったり、
はげしく罵ったりする人がいるとは聞く話だが、同じような背景だろうか。
結局、殴るのは自分の感情が押さえられなくなっただけで
下手な理由を付けるのは的策ではないと思う。

posted by 4430516 at 12:19| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | いわゆる日記の類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月04日

Facebookがどうも合わない理由

Facebookのメッセージ機能やグループ、招集などの部分以外
特に、タイムラインはどうもは肌に合わない。
なぜか?を整理してみようと思った時、以前読んだ本を思い出した。

ライフログの技術 ~自分の仕事と趣味を丸ごと整理・保存する! (洋泉社MOOK) [ムック] / 洋泉社 (刊)

この『ライフログの技術』という本の「ちきりんさん」
(『採用基準』 の伊賀泰代さんのペンネームということがサイトで話題になってましたが)
の章が、明確に言い当てていた。

――――――――――――――――――――
自分の中に異なる複数のキャラクターを持つことは、実生活において皆、自然にやっている普通の振舞いではないでしょうか。(略)多くの人にとって、仕事での自分と、家族に対する自分は違うキャラクターですよね?私はそれが不誠実だと思いません。(略)ザッカーバーク氏はFacebookの経営者として実名制を推し進める立場ですから、ビジョンとして「実名制による、よりよい世界」を主張し続けるのは当然でしょう。だけど、私はそんなの信じていないです。自分の中に複数のキャラクターを持つと、それがその人の深みになります。人が成長するというのは、その人が変わるということでしょ。“複数の自分”を持つことは深みにつながるんです。
――――――――――――――――――――

私たちはその時々によって、いろいろな振舞いをしながら生きているわけで
ある人に求める情報なども、その文脈の中でしかない場合が多いし
よほどの人ではない限り、その人の多くを知りたいとも思わない。

しかし、Facebookは実名の下に、その人のビジネスでの関心事、趣味、考えていること、
行ったこと、食べたもの、出会った人‥など、なんでも公開できるしくみになっている。
ここに訥々と、自分の身の回りに起こったことを掲載しつづけることは
文脈を無視した情報の垂れ流しであり、僕はどうしても受け入れらないのだ。

要は、僕自身でつながりも整理したり、知りたい人の投稿を講読したり、
グルーピングしたり‥などと自分で文脈をつくらないといけないのだろう。
まだfacebookを自分の意図通りに使いこなせていないのかもしれない。

まあ、そうこうしているうちに、女子高校生の8割はスマホを持ち、LINEなどの
コミュニケーションツールを使っているという記事もでてきているわけで
よりミニマムなSNS群(用途に応じてソーシャルネットワークが変わる)が
今後当たり前のように形成されていくのだろうな。

posted by 4430516 at 08:46| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | いわゆる日記の類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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