2011年11月26日

戦略は、ルーティンで磨かれる

ウィニング 勝利の経営 [単行本] / ジャック・ウェルチ, スージー・ウェルチ, 斎藤 聖美 (著); 日本経済新聞社 (刊)

久しぶりに、Jack Welchの本を読んでいる。パラパラと眺めていても、さすがに良いことを書いているなぁと思う大企業でしか活かされないものかと思っていたが、実はそうでもない。いま特に参考になるのは、戦略の記述だ。

「戦略は大まかな方向性を与えるもので、市場環境によって頻繁に見直し、定義し直す性格のものだと考える。それは反復作業で、世間で言われているほど理論的ではないし(略)」というあたり。なるほど、この視点は自分で事業をもってみないと明確には得られなかった。

企業の戦略は、常に日々のビジネス活動の中で見直され続ける方向性なのだが、見直されるということが学習活動であると仮定すれば、「見直される」というより「磨かれる」と言った方が良いのではないか。私たちは、磨く支援をするという位置づけであれば、私の日頃のもやもやもスッキリするというものだ。

恐るべきルーティン。やはり、日々のなんとなしの生活にいろいろなヒントが隠されているのだ。若いとプロジェクトばかりに目が行くが、ルーティンもしっかり見ないといけないね。
posted by 4430516 at 20:34| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | コンセプチャルな視点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月09日

「自分のことば」で話す人

ここのところ、いろいろな学生さんにお会しています。正直、学歴や経歴は基本的にはどうでもいいので、「うちの若い人」になってもらえそうか、地頭の良さと前向きさ、そしてお互いの相性が合うかというあたりを見ながらお話させていただいています。みなさん優秀だなと思いますが、本当に欲しい人は「自分のことば」でしゃべる人ですね。たまにしかこういう人はいません。

「自分のことば」とは、知識は受け売りでもいいので、それを自らの経験に置き換えて知見としてためたものを人に伝えられる力というものかなと思います。端的に言えば、表象力なんです。別のことばで言えば、インプットされたイメージを、自らがもっていたイメージにどれだけ換言できるか?もしくは、一部だけでも換言できるか?ということなのですが、まだ私の説明もこなれていないですね‥

「インプットされたイメージ」と簡単に書いてしまいましたが、イメージのインプットは積極的にできないとダメです。自分にないイメージを取りにいく努力も必要だし、これまでの自分の体験にはないものを積極的に受け入れるという姿勢も求められます。そして、自らアウトプットしようという努力も大事です。「自分のことば」で話せない人は、このあたりも弱いんですね。

直接の原因かどうかはわかりませんが、普段遊んでない感じがします。仮に「よく友達と遊んでいる」といっても、クリエイティブな遊びをしていない。時間をつぶしている遊び方をしています。そして、所属組織を広げていない。「内向きの消費」をする世代のようですが、これではインプットされる豊かなイメージが広がるはずがありません。発話情報もネットで得られるものばかりです。そして課題を見ていてもわかりますが、人に向かってアウトプットする機会が少ないようです。

あくまでも私が求める像として見た場合の話ですので、だからどうということでもないのですが、結構時間を割いていることでもあるので、ちょっと雑感をメモしたくなりました。
posted by 4430516 at 13:10| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | コンセプチャルな視点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月10日

回顧録はまだ早いぜ、40代

youtubeやら見ていると、80年代にヒットしたテレビや音楽などの画像コンテンツのコメント欄にはたいていこんなメッセージが付く。

●このころは良かったなぁ〜
●こんなグループ、もう二度と出てこない。
●いまのバンドとか全然ダメだ。
●最近の歌詞もメロディも、響いてこないよな〜

書いている内容などからして、多分、40代や50代のコメントが多いのだろう。当時を回顧して、想い出に浸るのはいいのでしょうが、それが今の音楽よりもいいとか、あのころが最高だった‥なんて嘆いて、何になるのだろう。こればかりは、いただけない。

いまだって、多様なエンタテイメントがあり、それぞれの分野で必死に努力して、みんなを楽しませようとしている人はたくさんいるし、面白いコンテンツもあるだろう。「昔はよかった」的な発言を、40代がしていいものなの?逆に良いものをいままで見てきたから、(音楽をつくらないまでも、仕事とかで)もっとみんなを驚かせることをしていこう!というのが40代ではないの?

物事をアーカイブでき、共有できるのがネットの良さの一つだとしても、回顧にふけるだけの道具になるのは、逆効果なのかもしれない。僕らはもっと、ネット情報に対して前向きに付き合いたいものだと思う。
posted by 4430516 at 16:28| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | コンセプチャルな視点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月06日

コンセプトについて考えます。宣言。

1年間を通じて、コンセプトについて考えてみます。これまで企業研修で取り組んできたり、雑誌などに投稿してきた内容とは、違う切り口で考えみます。事務所のブログを通じて、あーでもない、こーでもないと、考えてみます。コンセプトをつくるうえで、必要なノウハウを体系化するための「お砂場」としてブログを使ってみたいと考えています。まぁ、考えてばかりでもダメですので、最近書いたプランのラフスケッチをアップロードしてみました。↓(プランの全体像を1枚にして、手書きでまとめるというのは、好きなんです)

スタッフ・コラム
http://www.thinkjam.co.jp/discovery/column/

継続してアップデートしていきますので、ご関心のある方は、ぜひお立ち寄りください。更新情報は、事務所のTwitterやFacebookでもアナウンスしていきます。
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2010年11月28日

リーダー不要のチーム

某大手制作会社の3ヶ月間の研修に関わっている。受講者が数チームに分かれて、ある目的のために3ヶ月間にわたり改善活動をしながら、成果を競い合うもの。各チームに相当の予算が使えることにもなっており、大企業ならではの贅沢な研修だ。それだけ予算をかけるのだがら、もちろんこの研修の題材は架空のものではなく、ある事業に直結している。なかなかおもしろい試みだと思う。

2ヶ月目も終えようとしているが、先日講義に出向いたら、各チームの反応がまちまちであることに気がついた。当たり前のことかもしれないが、成果がでているチームほど車座になり、議論が深く、闊達。そうでないところは、席にバラバラに座り、議論する内容が広く散漫であり、口数も少ない。第一、成果がでているチームは遅刻や欠席者が圧倒的に少ない。

私はチーム編成に関わっていないが、もしかするとチームのつくり方を誤った可能性がある。もしくは、そのチームに合ったアテンドをしていないということも考えられる。いろいろなチームの要素はあると思うが、プロジェクト管理者、盛り上げ屋、疑問・仮説提示屋、すぐやってみるワーカー、決裁者という役割がしっかりできていないと、そのチームはうまくいきにくいだろう。

もちろん、一人のリーダーが引っ張っていくというのも、チームのかたちとしてあるだろうが、今回の状態をみている限り、うまくいっていないところにもリーダーはいるのだ。もしかすると、今回の研修は、明確にやるべきことは決まっているのだから、ビジョンを定め、常に言い続けていくリーダーは不要だということなのかもしれない。

その人の特性を生かした役割分担ができるチームは成果をあげられるが、ではその役割分担はどのように行われているのだろうか?私が思うに、役割を決め付けるリーダーが存在するのではなく、そのような雰囲気にもっていける「影のリーダー」がいるのではないか?個々人の特性にあった形で進められる雰囲気を生み出せるキーマンとでも言おうか。それも、オモテには出てきにくく、何らかの行動を起すことでそれがトリガーになり、みんなの役割が明確になりそうなもの‥

チームを闊達にするためのヒントがあるかもしれない。講義とは別に、もう少し観察してみよう。
posted by 4430516 at 19:36| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | コンセプチャルな視点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月11日

実社会と同じでは、おもしろくない

最近人名検索をすると、上位はTwitterとかfacebookばかり。つい最近までは考えられなかった現象だなと思いつつ、便利なのは各人のサイトに飛ぶと、ご丁寧にいろいろなプロフィールが書いてあること。私はビジネス関係の人をみることが多いので、所属会社名、肩書き、仕事の経歴とかとか‥あまり知らない人の情報源にもなったりして、それはそれでありがたい。

さて、そういう肩書きを読むと、孫さんとか三木谷さんよろしく、なんかエライさんが多い。そして、そういう人は同じような人をフォローしているような気がする。自分や自社のマーケティング活動のためのネットワーク強化活動のひとつだろうか。しかし、内容は結構、個人的なことが多い。孫さんや三木谷さんほど、ビジネス活動に使いこなしているわけではない。

個人的には、そういう人はちょっと痛いなぁ‥と(今のところ)思っている(自分がいつそうなるかわからないから)。そもそも、自身の肩書きや経歴って、ソーシャルメディアの世界ではどのくらい重要なのだろうか?ということを考えてみると何か手がかりがありそう。

ソーシャルマーケティング的に言えば、知人、専門家、有名人という3本柱が、信頼される「個人」である。ここで問題なのは、専門家ではない癖に妙に専門家ぶる(単に会社の役職についているだけなのに、専門家のようなふりをする)ような人たちではないか?そして、結果としてその情報は、ソーシャルメディアの中ではノイズになるのではないか?

と、思ったりもする。もちろん発信する内容とのバランスによって議論されるべきものだろうが、専門家たちには、肩書きよりも何よりも、私はもっとコンテンツ側から人に会いたいなと思う。インターネットはそういう想いを実現できるものかと思っていたが、実社会のつながりだけのソーシャルっていうのは、おもしろくないね。

いろいろな分野の骨のある専門家に会える(もちろん有名人は抜きにして)というような状況には、まだ時間がかかるのだろうな。



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2010年07月18日

システム屋思考

システムの人たちといろいろ付き合ってきたが、ようやく違和感がどこにあるのかがわかってきた。いや、よく仕事をさせていただくシステムの人たちには、違和感を感じない。それは、デザイナーも一緒で、違和感を感じるデザイナーとそうでない人がいるのだ。

違和感を感じる人たちの考えを仮に「システム屋思考」と名づけてみる。システム屋思考のポイントは、この2つに集約されるのではないかと思う。
●なんでもできることを前提に話をする。
●しかし、実際にやってみようというときには、こうしなければできないという、できない理由をたくさん言う。

こうすればできますよ。こんなこともできますよね。それなら、こことここをこうすればいいのに‥とか言いつつ、これが決まらないとダメですね。これは、ここが無理だから難しいですよ。要件きまらないとなんとも言えないですね〜。では、その要件を決めるための予算は?と聞くと「えーそんなにするの?」みたいな話になりがち。

システム屋思考は、つまり自分で条件をつけて、こうならこんなことができるということが、自律的にできない。さらに、相手の想いなどを「こうかもしれない」という仮説を基に考えることができない。条件こそアイデアの源なのに、条件をつけないで、言われたことを形にすればいいと思っている。

それじゃ、といって逆のシステム屋思考になる人もいる。相手の意図などを鑑みずに、条件を自分勝手にガチガチに定めてしまう人だ。なぜここに存在するのかよくわからない身勝手な条件だらけで、何かを生み出そうとする。条件を旨く活用するこが難しいのだろう。

何でもできるということをベースにして、こういった両極端さが、マーケティング側のスタッフをイライラさせるのではないか?条件の上手な設定、条件を楽しむこと‥システム屋思考に欠けているこういった議論を、もう少し深めていったほうが良いかもしれぬ。
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2010年05月15日

30代前半のスキル向上

今週は、30代前半の経営者仲間と食事をする機会が数回あった。みなさんアグレッシブに活動されているが、役職に関係なく、1個人のビジネスマンとしてみた場合は、「仕事にも充分慣れてきたので、次のスキルアップステージに行きたい」という感じだった。10年くらい同じ仕事を続けていると、確かに次の強みを見つけに行きたくなる。そういう場合、みんなどうしているのだろう。

ビジネスがらみでいえば、会社が用意してくれた研修や自分自身で見つけてきたビジネススクールやセミナーなどを受けるというのが多いかもしれないが、それは多分現在の仕事の延長線上でしかなく、本質的なスキル向上に結びつかないのではないかと思う。この年代の本質的なスキル向上というのは、それまでやってきた仕事を一度別の「メガネ」で見ることと、その結果から次の仕事を生み出すという大きなうねりを伴う必要があると思う。

これまでやってきたビジネスとは違う環境にまず自分を置くこと。リスクとお金も必要になるだろうが、その分得られることも大きい。そういう意味で、社会人大学院というのは、とても有効に活用できるのだと思う。もちろん、ビジネススクール的に活用するだけだと、大した糧は得られないので、ビジネスとは別の視点を論文計画書でしっかり形にしてから行きたい。

では、40代からのスキルアップは何に求めよう?味わったことのないような、大きな環境転換が必要なのかもしれないな。ちょっと模索中。
posted by 4430516 at 11:38| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | コンセプチャルな視点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月07日

目的意識をもった人材を採用するには‥

若手社員が何年かキャリアを積み中堅社員になると、ようやくまわりも認めてくるというのが、普通の会社かもしれない。「あいつも、○年目だし、そろそろこんなことをさせてみよう」というのは、経年がキャリアを積んだという視点に基づくものだろう。しかし、ベンチャー企業はそんなことを言ってられない。経年なんてほど社の歴史はないし、そんな悠長な考えではつぶれてしまう。その人が、若かろうが年をとっていようが、目的をもってやり遂げる志向性と意思があるかがとても重要だと思う。

先日の私のエントリーとは主旨が異なるが、目的をもっている人には、どんどんその機会を与えるのもコーチ(上司)の役割だろう。そして、失敗しても失敗そのものに評価をしない。しかし、難しいのは、そういった目的意識の高い人材を集めることだ。この不景気、特に守りの思考に走る若者たちの中から、ベンチャーに飛び込める人がどのくらいいるのだろう?それより何よりまず、集められるほどの魅力が自分たちにあるのか?そして本当にターゲットは若者なのか?いや日本人なのか?
posted by 4430516 at 22:29| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | コンセプチャルな視点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月23日

地元本屋のamazon化

以前から言われていたことなのかもしれないが、近所の本屋においてある商品がamazonのランキングとほぼ一緒になっている。確かに、amazonがこれだけ使われる前から、狭い店舗スペースには、売れ筋だけ置くというのが常だったが、売れ筋がよりタイムリーになっているのだろうか?

ということで、「amazonで買い忘れたけど、すぐに読みたい本」があったので、仕事帰りにちょっと本屋に寄ってみたら‥「ない」。在庫を切らしているようだ。ちっ、amazonのリアル倉庫がっ!と思ったが、店を出てすぐ、ケータイからamazonで購入した。

最初からamazonで買えばいいじゃないか。いや、でもちょっと地元本屋にもたまには寄りたかったし、買うものが決まっているなら、地元でお金を落としたほうがいいかも‥という気持ちで立ち寄ったのだ。こういうことは、今回が初めてではない。しかし、結構な確率で裏切られる。

この裏切りは、顧客満足の低下であることは間違いない。僕のほかにも、同じような理由で地元本屋を利用する人もいるだろう。新規客を広げたい(正確には、顧客を呼び戻したい)のなら、そのあたりを意識したビジネスコンセプトを練る必要があるのかもしれぬ。

たとえば、売れている漫画を貸本化して、その脇でビジネス書と小説を売るとか。本買ったら、隣接する電源席が1時間つかえるとか‥地元のお父さんが、家庭に帰る前のちょっとしたコミュニティっぽいのがあると、うれしいな。
posted by 4430516 at 22:39| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | コンセプチャルな視点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月03日

時をリニアに感じるツイッター

ようやく事務所の移動(移転ではないよ)が終わったので、またエントリーしてしまうわけだが、先ほどの「年を重ねるほどに、時は1枚の絵になる」という前のエントリーを、逆に、まだリニアな時間を感じている私たちに当てはめてみると、私たちはツイッターを書くことで、時の流れを感じているということはできないだろうか?

いや、ブログも、その前には手書きの日記もあったわけだが、それではまだ感じる時間の単位が大きい。ツイッターは、時間がより細かく刻まれている(刻むことができる)。時をパースペクティブにとらえようとしない、このリニアな時のマーキングの仕方は、なんらかの自分のアクションを書くことで、自分を確かめられるというのが、最初の使い方だったかもしれない。

しかし、ここでその行為を私たちは「つぶやき」ということに言い換えて、使っている。時のマーキングを「つぶやく」ことで、コミュニケーションの余地を残したというとこに、このネーミング(コンセプト)のうまさがあるように思う。つまり、単なる行為に対して、行動の余地を残すようにしむけたところが、ツイッター人気のポイントのひとつではないだろうか。

だから、私たちは意識して時を感じるなんて陰気くさい使い方はしないのだ。「つぶやく」というマーキング行為は、いつしか相手とのコミュニケーションという行動も期待できるようになり、それを意図的に行う(活動する)人もでてくるわけだ。うん?ツイッターって、活動理論でとらえると、その内包されているものが何か見えてくるのかな?
posted by 4430516 at 20:27| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | コンセプチャルな視点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月16日

問題の提示の仕方が重要だった

問題解決のための課題設定となると、どうしても目的に対して有効な課題を探し、設定することばかりに目がいってしまうが、そもそもの問題の設定が重要であるということに、改めて気づいた。

問題のハードルが数値化されていたり、それが通常考えられるものよりも高いというのも大切ではあるが、「問題がいかに魅力的であるか?」というのがとても重要なのだ。あまり意識したことはないが、確かに楽しそうな問題であれば、課題を探るのもワクワクするはずだ。

たとえば、経営者から「どうしたら利益は上がるか?」という問題(=現在の利益とあるべき利益の差)を提示されたとしても、それはとてもチープな問題であるという認識をもたねばならない。もっと具体的に、もっとワクワクすることばなら、どうなるだろうか?

多分、経営者やリーダーと呼ばれる人たちはこの「問題の提示の仕方」で力量が試されるのだろう。問題を見つけるのは、いってみれば定義の話なので、それは簡単である。問題をどのような切り口で見つけるか?そして、その問題をどのように協業メンバーの前に提示できるのか?というセンスが問われる。
posted by 4430516 at 11:51| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | コンセプチャルな視点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自らの経営分析の型を探す

多くの企画書を生み出してきた。特にその課題ごとに新しいフレームワークを作ってきたという自負はある。これまでいたいくつかの企業では、そういったコンセプチャルな能力を、経営戦略に活かしたいと手を挙げても、決して経営に参画させてもらえなかった。現場で顧客のコンサルティングを手がけているか、提案書を量産させるという使い方のほうが、便利だったのだろう。というわけで、つまんなくなって転職したり、独立をして会社をつくってみたり‥と。1年突っ走ってみて、まずは経営陣として結果を出した。

1年やれば、小規模とはいえ、いろいろな経営数字がたまるので、少しずつ解析してみると、なるほどというデータがでてくる。逆に、このデータとこのデータがないと、こういうデータが見られない‥みたいなこともよくわかってきたので、それが自動的に見られるしくみを開発してみる。いろいろな経営データをみるためのソフトなどはあるのだが、やはり自分たちのビジネスに最適なフレームは、まずしっかり自分たちの手でつくるべきだろうと実感している。

プランニングや企画書の手は、だいぶ加減もわかってきて、スピードも早くなったと思うので、経営数値のPDCAにも時間を割こうと思っている。これまで従業員だったときには、あいまいにしていた部分も、自分たちがモロにリスクを背負うとなると話は別。大学院で学んだ財務諸表の読み方や経営分析手法、バランススコアカードなどを改めて読み返すと、自社でトライアルしたいことが、いろいろ湧き出てくる。
posted by 4430516 at 00:44| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | コンセプチャルな視点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月19日

ゼネラリストって、いらなくね?

ちょっとtwしたけど、プランナーとかマネジャー、コンサルタントとかいう職種を表すことばに、いろいろな概念や解釈をしたがる場合があります。要は、人によってあいまいなことばの意味を拡大解釈するような人たちがいます。私の(少ない)経験ではそういう人は、プランナーとかマネジャーなどのことばを使って、自分を大きく見せようという人たちが多く、それに釣られておいたほうが場が和やかになる場合もありますので、私たちはちょっとことばの定義に解釈を抱いても、あまり異論をとなえません。

プランナーやマネジャーは、どんな解釈をされようとも、そういった「人」の呼称は、何らかの「専門職」をさすのだと私は定義しています。もっともその専門性を定義するのは、かなり大変になると思いますが。「専門職」の対になることばとして、「総合職」というのがあるみたいですね。カタカナ英語で書けば、専門職=スペシャリスト、総合職=ゼネラリストというのが一般的かもしれません。この総合職というのは、何なんだろう?FFSのフレームを使い、私流に乱暴に言えば、リーダーシップやタグボートやアンカーのようなタイプではない、日本人の半数いるといわれる管理・調整型の人の安住の場ではないかと思います。

つまり、何か明確なビジョンを打ち出して人を引っ張っているのではなく、また難易度の高いものを垂直立ち上げしたり、決められたことを間違いなく淡々と進めることが苦手な人たちの「専門職」を意味するのが、ゼネラリストつまり総合職なのではないかと。なので、専門職と総合職は対ではなく、総合職は専門職の下位階層に位置づけられるのではないかと。かといって、プランナー、マネジャー、コンサルタント、ゼネラリストと単純に並べられるかというと、まだまだ考えないといけませんが。

一般的に、ゼネラリストは視野が広く、いろいろなことを経験して、経営者予備軍になるというイメージがありますが、実際のところそうなのかな?実は、(人によるところも大きいですが)もっとも視野が狭くて、もっとも無難な人たちで、大きなイノベーションを起こせない人たちなのではないかと思ったりします。なので、私としてはゼネラリストを目指したり、そういう職種の定義があるのは、どうもしっくりこないんです。というわけで、うちの会社は、全員専門職にしたいと思います(もっと正確に言えば、自律的専門職です)。

この「自律的」というあたりが、極めて重要なんですよね。「自律的」ということばをめぐる議論や概念を拡張することは、決して無駄ではないでしょうね。
posted by 4430516 at 10:22| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | コンセプチャルな視点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月13日

「あるべき」の相違

メーカーと小売、それぞれとお付き合いさせていただいているが、「あるべき」という概念に対する相違が、最近はっきり自分でも理解できつつある。

メーカーのいう「あるべき」とは、どういう方向にいったほうがいいか?というコンセプトを明確にしたいということであり、小売のいうそれは、具体的にどうすべきか?という方法論である。

とはいえ、昨今では小売製造というような業態もあるわけでメーカーと小売という二極分化で議論するのもどうかと自問する。(ただ、数社とお付き合いして感じているのは、小売製造の会社は、どちらかといえば製造の血が強いように思う)

いや、業態で分けるのもそもそもおかしく、結局はその会社の経営層や担当者の意識に基づいてコンセプトなのか、方法論なのかということのほうが正しいのかもしれない。

ひとつ重要なことは、私たちはその両方に答えられなければいけないということだ。コンセプトもだせるし、方法論もだせる。両方に共通しているのは、いうまでも顧客視点であり、現場をどれだけ理解しているか?ということ。

「あるべき」という言葉を安易に利用するのはいいが、何も何チャラ分析とかを重ねることででてくるものではないということを肝に銘じておく必要があろう。
posted by 4430516 at 09:29| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | コンセプチャルな視点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月06日

グラフ理論が活躍している

Eコマースサイトに活用されているレコメンドエンジンというと、ルールベース(これを買った人にはこれを勧めようというルールをあらかじめ決めておく)か協調フィルタリング(購入などの事実を組み合わせて、これを買った人はこれも買っていますなどを自動的に勧める)というものだけだったが、最近は、複雑系ネットワーク理論をベースにしたものが受けている。
そういえば、前職でリスティング広告の自動入札ツールを開発していた。そのエンジンもグラフ理論を使ったものだった。さかのぼれば、2002年ごろ、大学院の仲間とバラバシを読んで目からうろこだった。数学落ちこぼれの会(リハビリ)みたいな会をつくって、ネットワーク理論を勉強したが、「これは使える!」と思ったのがブランドマネージメントくらいだった。
しかし、現在インターネットというフィールドを仕事にしているのであれば、これら理論はもっと使われて当然のことなのだ。もっと思考を柔軟にしなければ‥。せっかくのインプットも、硬直した頭脳では宝の持ち腐れだ。

posted by 4430516 at 07:15| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | コンセプチャルな視点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月05日

死生学

軍艦島の写真と一緒に掲載されていた、今後の高齢化社会の基本思想は、どれだけ生きたか?ではなく、どれだけ充実した人生を送れたか?ということになるという、死生観の記事を読み、なるほどと思う。デザイン墓石やこれまでのような葬式をしない人も増えているとか‥いう現象も、なんとなく読み解けるような気がする。これからのマーケティングを考える上で、死生学というのは重要なキーワードのひとつかもしれない。
posted by 4430516 at 07:58| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | コンセプチャルな視点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月02日

フィーの種類

以前、東洋経済に書かれていたものを、日本語で書いてみると…

●人工(にんく)によって支払われる。
●決められた額が支払われる。
●決められた額と人工(にんく)の融合で支払われる。
●成果によって、決められた報酬が支払われる。
●成果によって、次の報酬が加減される。
●その業務の達成度を評価するための指標を策定し、一定期間ごとにそれを評価し、その評価された価値(利益ないし損失)を契約当事者間で分配する。

アメリカの大企業では、最近では一番下のものが採用され始めている。たぶん、企業側も支援する代理店側もそれなりのマーケティングスキルがあり、かつそれぞれが明確な補完性がないとこれは採用できないはず。自社の強みが明確な企業こそ、こういったフィーのとり方を考えたほうがいいのかもしれないが、相手がいてなんぼの世界。日本では、まだ難しいかもしれない。
posted by 4430516 at 14:06| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | コンセプチャルな視点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月08日

マネジャーとリーダー

スタッフの最適配置について考えていて、ふと思ったんだが、やはりマネジャーとリーダーは根本的に違うんだということは意識しないといけないんだ。「マネジメント層」というと、そこにはすでに「リーダーシップのある人」が必ずいるというイメージが根付いているかもしれないが、普通はマネジャーは管理する人という概念で、そこにはみんなを引っ張っていくというそれはない。しかも「新しいものへ」とか、「急いで立ち上げる」とかいう場合には、別の力を有する。

FFS理論的にはマネジメント型は55%の出現率といい、決して特殊な層ではない。決められたことを、決められたとおりにできるかどうか?そのためには、どうしたらいいかを考え、調整・調達していく力が求められるのであり、性格的なところもあるが、どちらかといえば熟達的な側面も大きいのだろう。

と、考えると前回のエントリーの続きになるのだが、経営層にマネジャー的なマネジャーばかりおくと、結局は縮小均衡にしかならない。マネジャー、リーダー、タグボートの戦略的なポジションときちんとした待遇を考えないと、組織として強くなっていかないのだろう。
posted by 4430516 at 13:33| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | コンセプチャルな視点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月27日

意識と無意識をつなぐもの

作詞家・詩人の覚和歌子さんが、母校の小学校で詩作を教えるテレビプログラムがあった。この人の教え方は、抜群に上手い。日々、詩作と真摯に向き合い、よく理解されているからこそできる技なのだろうと感じた。

詩の書き方として、テーマを決めて、そのテーマに関連することばをこれでもかというくらいに引っ張り出して書き連ね、さらにそれでもことばを出してみる‥この作業を徹底してやることで(自分を追い込むことで)、無意識のことばがでてくるのだという。

ここまでは、ロジック不要だが、ここから始まる編集作業には、何らかのロジック(フィルター)をつかって、まとめあげられていく。このあたりは小学生向けだったので、あまり議論はされていなかったが、小学生なりに、詩というものは、行間を無意識のことばで不思議とつながるものだということを理解していたようだ。

この流れは、まさしくコンセプトワードを紡ぎだす作業と一緒である。ビジネスになると、じっくり向き合える時間が相当短くなるが、プロセスは同じだ。ビジネスの世界は、こういった発想を出す場合でも、何かロジックを求められたりすると勘違いする方々もいるが、そうではない。

覚さんは、この作業を「楽しくできるかどうか」がポイントだと言っていた。楽しくやることで、意識にあることばと無意識にあることばをつなぐ道がつくれるのだという。仕事も楽しくありたいもの。自分の意識を追い詰めることを楽しめれば、自ずとアイデアもでてくるのだろう。確かに、アイデアを持っている人は、そういう傾向があるかもしれぬ。
posted by 4430516 at 14:25| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | コンセプチャルな視点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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